ITmedia「iPhoneやめました (1/5)」の記事から。
まぁ共感というかよく理解できる内容じゃないかと思いますね。1年間、iPhone を使った上での判断ですから、外野がごちゃごちゃ言うことでもないでしょう。もっとも自分の場合とは真逆の理由ですし、自分はケータイを全く使いこなしていませんでしたから(メールと電話の機能以外は基本的に使ってなかったので)。
しかし、悲しいなと思うのは、
ちょっとびっくりしたのは「『iPhoneやめました」であっさりやめれる(コメントママ)人なんて、そもそもiPhoneを何も使いこなしてない人なんですよ。その持ち歩いてるPCだってろくなもんじゃないでしょう。そして『iPhoneやめました』と公に表明する時点で知れてる人間性です」というコメントがあったことでした
via: iPhoneやめました (1/5) – ITmedia +D モバイル
なんてことを言えること。
自分が気に入ってるモノをある意味、否定されたということでこんな風に思ってしまうんでしょうけど、iPhone も所詮は道具です。ある目的を果たすのに、どの道具を使うかは人それぞれ。人によって使いやすい道具は異なるということは当然のことだと思います。
ましてや吉岡編集長のように明確な目的・考えを持っている人であれば、なおさら然るべき道具を選ぶということになるんじゃないかと思うんです。iPhone か別のモノかという視点からではなくね。
僕も先ほどこの記事を読んだのですが、まぁ致し方ないかな?
僕はiPhoneに感謝しているし、これからも使い続けるだろうけど、買わない、使いこなせないと言う人に、押し付ける気はさらさらありません。
確かに、慣れを必要とするのは、ちょっと厳しいかな?って思う時もありますからね。
でも、この記事の中で気になったのは「歩きながらメールが打てない」というところ。
僕は自転車で通勤しているのですが、携帯を使いながら歩いている人が、自転車の方に突進してくることが、何度もありました。
歩きながら携帯を使うというのは、パブリックな記事で書くべきではないんじゃないかな?と・・・
まぁ、瑣末なことなんですけどね、
いずれにせよ、自分の好みのものを否定された時に、上から目線で反論するような、恥ずかしことはしないように、反面教師にしたいとおもいます。
コメントありがとうございます。
同感です。自分ももうiPhoneのない生活は考えられないのですが、誰にでも勧めようとは思いません。
確かに歩きながらメールと言うのはよく見る光景ですし当たり前のように書かれていますが、おっしゃる通り、本来は危険な行為ですよね。
瑣末なことではなくてとても大切な問題提起だと思いますよ。
自分も気をつけたいと思います。